突然に難病と言われても困るんですよ(4)

さてさて傷病手当は受給するのに数ヶ月かかりましたよって話を前回しましたね。療養休暇の際には生活費を確保しておきましょうね。
次の落とし穴なんですが、これは私のミスでもあります。療養休暇を開始する日をキリがいいからという理由で次月の一日からにしたんです。今月分は有給で休むことにして。この時は休める安堵感で何も考えずに会社からの提案を受けてしまいました。事務手続きが簡単になって迷惑をかけなくて済むかなってくらいの考えで。どうなったかと言いますと残りの有給が2日しかなくなって療養期間が長くて次年度の有給の補填が会社規定により無くなりました。1年と数ヶ月間の有給が残りの2日しかない状態です。それは年間の勤務日数が足りてないから仕方がないことなんですが見落としていました。
ちなみにボーナスも減りました。
療養休暇中の話しに戻りますね。
最初の1ヶ月は嫁も特に何も言ってはこなかったんですが病気の症状が改善されなかったので2ヶ月めに突入することになったんです。そうです2ヶ月めの給料もお預けになるってことです。嫁のイライラピリピリが増してきました。私が勤めにでず家で過ごしていることが気に入らないんでしょうね。収入も無いですし気持ちもわかりますよ不安だとは思います。でも症状が変わらないのに仕事に復帰したのなら何のために休んでいたのかわかりませんよね。それを伝えると黙るんですけど「じゃあ、いつ治まるの?」「いつまで休むの?」とか聞いてくるんですよ。意地悪です、これが私には辛かったんです。病院には行ってるし薬も飲んでるし他に何もしようが無いんです。痛みが無くなればすぐにでも復帰したいのに痛いんです。以前に書きましたが痛みの具合はMAXに対して7割レベルなんで苦痛では無いんです。だから重症の人みたいに動けないことはないのです。我慢して動けるので嫁としては働いてほしいんだろうなって思いました。そして他人には痛みが伝わらないことを実感しました。家に居ることが苦痛になってきましたね。というか嫁と一緒に居るのが嫌になってきました。お医者先生に家族に症状の辛さが伝わらないので他の患者さんは、どのように家族の理解を得ているのだろうか相談しました。割と皆さんも同じような感じだそうです。重症にならない程度の人は我慢していますとのことです。ただ先生は仰っいました。
「何ゆえに特定疾患、難病として国が認めているのか。そこを理解してもらって下さい。」と
それです、それなんですよ普通の病気では無いんです。解らないことだらけの病気なんです。解るのは現在の状況だけ。私が仕事は無理だと判断したなら無理なんです。ぶっちゃけ先生もどうなっていくのか解らないと言ってるのです。一般人の私に解るはずもありません。それを嫁に伝えました。そして互いの不安を話しました。それ以降は若干ですが嫁からの当たりも小さくなりました。

突然に難病と言われても困るんですよ(3)

また前回からの続きです。
診断書を会社へ提出しに行きました。
ちょうど月末だったんですねタイミングが。
ちょっと偉い上司と面談して自分の病状と療養休暇を希望することを伝えました。私としては提出した当日から休まず日にち調整して他の職員の勤務と合わせて休みに入るつもりでした。面談の後にすぐ帰って休みに入るように言われたので少し驚きましたけどね。もちろん有給扱いですけど。直属の上司に経緯を話し療養休暇の件を報告しました。事前には相談していたので休むことはわかっていたと思いますが報告は大事ですもんね。月末だったので今月は有給で休んで来月の初めから療養休暇の取得をしましょうということになりました。何も考えず言われるがままに指示に従ったのです。正直なところ休めることに安堵して深く考えてなかったんですね後から困る事態になることを。これは後で書きますね。
さてさて 療養休暇に突入ですけど私の病気は治りませんので発症した症状を抑える薬を飲むしかありません。病院に行っても副作用で内臓の機能異常が無いか調べるくらいですので2週間ごとに通院です。休んでも特にやることが無かったのです。手足の指が痛くて動くことも億劫ですし、とりあえず自分なりに家事をしていました。休んでも家族の目が気になって気になって.....。この家族の目が実に厄介でした。特に嫁の人.....。我が家は共働きなんですけど私が休んで家でゴロゴロしているのが気に入らないらしく態度にイライラが如実に出てるんです。「あたしが働いてるのにあんたは休み?」と心の声が聞こえてきます。会社は休めても家族は休めません。この日から洗濯以外の家事は私がメインですることになりました。食事の準備に洗い物、子供の入浴などなど。辛いこと全般じゃないですか何故ですか。休んでる手前もの申せず仕方なく我慢してやりましたよ。薬は飲んでたものの効果の実感は無く痛み止めも効いてません。先生曰く痛み止めが効かないのは薬の効果以上に強い痛みだからだそうで徐々に種類を変え量を変え調整が必要とのことでした。浮腫に関しても同じです。特効薬が無いので症状に合わせて処方するしかないのです。だから特に改善の無いまま2週間が過ぎました。痛いのは我慢して家事をしました。ただ家にいるので睡眠不足でボーッとしてても誰かに迷惑をかけない安心感は助かりました。だいたい1時間くらい寝てしまうと痛みで目を覚まし体を起こして浮腫を抑えるために指をグーパー動かすことの繰り返しでした。毎日です。起きているときは手袋をして手足の保護です。お風呂と料理以外は靴下と手袋は必須です。子供を寝かせつかせるために添い寝するときは恐怖でした。一緒に寝てしまうと激痛で起きることになりますからね。睡眠不足なので寝たくなくても眠ってしまうんです。布団で寝れないのでソファで座ったまま眠るスタイルで睡眠時間を確保していました。そんなことを通院で先生に伝えるとステロイド系?の薬を試しませんかと言われました。2週間経過して症状が変わらず辛いのならと。副作用に気をつけて調整してみませんかと。副作用とは腎臓への負担が大きくて壊す可能性があるとのことでした。違ってたら申し訳無いですが私の理解はこれです。通院して検査しても腎臓の数値は大丈夫ですと毎回先生が仰ってますし。さすがに会社を休み続けるわけにもいかないので飲むことにしました。更に2週間経ちましたが症状の改善はありませんでした。会社に報告をして療養休暇の延長です。嫁のあたりは強さを増します。健康のために運動をしろとか言い外を歩いてこいとか言います。無茶言わないで下さい家事だって我慢してるのに運動のために歩くなんて無理ですよ。効果あるんですか?それ。薬も効いてないのに何故ですか?安静という言葉を知らないのですか?と言ってやりました心の中で。私の場合、療養休暇の間は無収入になります。会社からは給料がもらえませんが傷病手当というものが受給できるようでした。4枚の用紙を渡され2枚は私が記入し1枚はお医者先生が記入し残りは会社の事務員さんが記入して完成です。まとめて3ヶ月分の受給までできるそうです。ただ先生の記入は私が実際に受診をした証明でありますので例えば通院して1ヶ月後に再通院してからの「この人は1ヶ月療養しましたよ」と事後報告の記入となります。再通院の日に用紙を先生に記入依頼しますので更に完成まで2週間待ちなんですね。だから用紙の完成まで「実際に療養した期間+用紙の記入が完成する期間」で6週間かかり更に会社へ提出し会社から4枚揃った状態で受給機関へ提出し認証を受けた後に給料の約6割が銀行に振り込まれるのです。だから2ヶ月以上無収入になるんですよ。これは困りました。傷病手当って言葉は知ってましたが受給するのに、こんなに時間を要するものだとは知りませんでした。もし療養休暇を取得する場合は数ヶ月の生活できる準備をしてからじゃないといけませんよ。実際に病院の窓口で他の患者さんが「早くお金を貰わないと生活ができない」って相談していました。コワイコワイ、こんな落とし穴があるなんて。国民はある程度は守られているが即時に助けてはもらえません肝に命じておきます。お金の話しになっちゃいましたが大事なことです。書きためせずにツラツラと書いてるので読みにくくなってきましたね。スミマセン。

突然に難病と言われても困るんですよ(2)

前回の続きです。
糖尿病の先生のすすめで最寄りの膠原病内科のある総合病院に行きました。
血液検査の結果から膠原病ということがわかりました。実にあっさりとした感じです。検査結果から「この数値がね普通の人は多くても27くらいなんですけど あなたの場合は137あるんで これは まぎれもなく膠原病で全身性強皮症ですね。」と淡々と説明を受けました。そして各症状の名称やら作用やらの説明を受けましたが正直なところ基礎知識も無いのに聞かされましても私の脳ミソには入りません。返事だけしてましたね。強皮症の薬をもらって症状も病気からってわかって会社に報告をしました。そして休暇をもらう相談もしました。診断書も準備して。自分の中では1ヶ月くらいで内服調整して症状が治まると思ってたんです。この時は。
主な症状
手足の指の浮腫
ソーセージのように膨らみ水や湯を触ると激痛まではいかないが例えると10段階中では7段階レベルの痛み(体感) 風呂や食器洗いが辛い。
物を握ると痛い。車のハンドルを握れない ペットボトルのキャップが開けれない。
体を寝かすと浮腫が酷くなるために痛みで眠ることができない。
こんな状態だったので車通勤の私には仕事中も含め辛かったんです。診断書のおかげで正当な理由で休むことが許されてホッとした時でもあります。

突然に難病と言われても困るんですよ(1)

なっちゃったものは しょうがないです。
上手に付き合っていくしかないです。それは怪我やいろいろな病気にも言えることです。もしくは健康体でもコンプレックスを感じている部分もそうです。受け入れるしかないのです。私はまだ症状が軽いので比較的どんなことでもできると思っています。でも今後の病気の進行によっては..........どうなっちゃうんでしょうね。
10年 20年と経ってしまったら今の軽い症状の時期のことなんか忘れてしまいそうです。
それを思い出すためにも こうやって何かしら残しておきます。自分自身のために残します。
さて、どうして自分が難病だとわかったのかです。
もともと糖尿病ではあったんですよね私。
病院には毎月行って血糖値の調整をするための薬を処方してもらってました。もう15年くらいの付き合いです。口渇くらいですかね悩みは。水分は欲しくてたまらなかったですね。仕事に行くと真冬でも2リットルは消費してました。毎日大きなペットボトル持参で出勤です。足りなくなる日もあるので自販機で補給もしてました。サバイバル生活では生き残れないな
水の確保が大変だものとか想像してましたね。汗も多かったんですが何せ水分摂取量も多いので普通だと思ってました。昼間3回くらい着替えてましたけどね。でも不思議なことに指先はカサカサに乾いていて財布からお札を出すのにも上手につかめないくらいカッサカサなんです。ようは紙類はめくれないつかめないの不便さです。寄る年波には勝てないのです。
さぁ ここからが本題です。体調の変化に気づいたんです。
2019年の秋です。手の指が妙に大きくなった気がしたんです。痛みはありませんし自分の勘違いだと思ってました。そんな程度でしたね。
そして年が明けたある日に家族から言われました。「手、大きくない?」
まだ痛みは無かったので「やっぱり?そんな気はしてたんだけど まだ成長するんだね~」みたいにふざけた返事をしてましたね。糖尿病の薬の副作用かな?くらいしか思ってませんでしたが一応その月の通院の際に医者先生に相談しました。当時に内服している薬の副作用とは考えにくいと言われました。そして症状は浮腫(むくみ)だと言われました。「浮腫かぁ、それなら私は水をたくさん飲むからかな」と安易に考えてました。利尿剤をもらって1ヶ月様子を観ることになりました。症状は変わらず数ヶ月経ち遂に新しい症状が現れました。痛みと強(こわ)ばりです。痛みは指がピリピリする程度で強ばりは拳を握るのに力が入らない程度です。ただの違和感としか思えないほどなんです。お医者先生にも伝えました。糖尿病の症状では無い可能性が高いので他の病院で診てもらっては?とのことでした。利尿剤は継続して貰いましたが他の病院には行きませんでした。だって症状が軽くて診てもらうのが恥ずかしかったんです。そして更に1ヶ月後です。指がソーセージみたいに肥大して痛みが強くなったんです。明らかに指が大きくて痛みのために物を触るのが辛いんです。車のハンドルを握るのも痛かったですね。ペットボトルのキャップも開けれませんでした。お医者先生に相談しましたよ。「膠原病かもしれないね」って言われました。「膠原病ってあれでしょ?自分の免疫が自分を攻撃しちゃうやつ」まさか自分がそんな病気になるわけないと思っていますこの時。信じれなかったですしね。職場のスタッフも私の多量の発汗と浮腫を診て「更年期障害だよね」って言ってましたし私もそう思ってました。浮腫には血流改善だと針灸院にも行きました4回行きました。2万円くらい使いました。改善されませんでした。
車のハンドルを握るのも困難になってきた私は布手袋滑り止め付きを購入。膠原病は頑なに信じませんでした。
そのうち足の指も痛くなってきてお風呂や食器洗いをしても手が痛くて
いよいよ生活にも支障が出始めました。
最初に指が大きくなって半年以上か経っていましたが苦痛に耐えかねて
お医者先生に相談しました。この痛みは何科を受診すればいいのか?
先生は「痛いなら整形でもいいし前に言ったように膠原病を診てくれるところでもいいよ。紹介状を書くから病院を決めたら教えてね」ってことです。
もう受診する気満々でしたので最寄りの膠原病内科がある病院を伝えました。整形にしようか悩んでもいましたけど、その時は何かの話のネタになればいいなって気持ちもあって膠原病内科にしました。

私がブログを始めようと動いた理由

タイトルにもなっていますが
私がブログを始めようと動いた理由はですね
去年の夏に自身が病気であることがわかったんですよ。
病名は全身性強皮症って言います。
なんぞ? それって皮膚病なの?
って感じですよね。
私も病名を知ることはできたけど通院してお医者さんに言われるがまま薬を飲んでいる状態です。調べたのだけれど難しくて解りませんでしたが一般的に言う難病というものです。
ざっくり私の理解した範囲ですと
まず手指の浮腫が起こります(浮腫期)
そして皮膚の硬化が起こります(硬化期)
最後に症状が緩和していきます(萎縮期)
私の理解は これだけです。
ただ ちゃんとした治療法や特効薬は存在しないそうです。ついでに原因も不明だそうです。
上記で薬を飲んでいると書いていますが
これは発現している症状を抑える為の薬です。
浮腫を抑える為の薬
痛みを緩和するための薬
これらの薬の副作用に対応する為の薬
毎朝晩10錠を越える薬を飲んでいます。
毎月のお薬代は3万円弱といったところです。
通院(検査)代も合わせると毎月それなりに出費があります。
地味に辛いですね。家計を攻めて来ます。
仕事もしてましたが病気の症状が辛くて3ヶ月ほど休みを貰いました。
私は普通の一般人ですので収入も多いわけでもありません。
だから仕事を休み続けることもできませんので職場復帰しています。
でも毎日に不安を感じています。
実感ですが病気は進行していると思います。
なので何か残しておきたいなって思い
元気なうちにしとこうとブログを始めたわけです。
あの時 あれをやっとけばよかった
こんな後悔をなるべく減らす
それが今の目標ですね。
今まで無趣味でしたので本当に つまんない人生でした。
これからでもいろいろと経験をして
その記録を残していきたいのです。
そして同じく難病に不安を抱えてる人に
何かしら共感を持ってもらえれたら嬉しいですね。

ブログを始めたが何もかもが解らなすぎた!

改めまして ブログを始めたばかりの私です。

最初から解らないことだらけアカウントを作ることさえ???な状態でした。

ブログをやってみたいとは思っていましたが、何から始めていいのか解らない。

だから 「また今度でいいや」ってなって気が付いたら何年も経っていました。

今回は何となくネットサーフィンしていたら この「はてなブログ」がブログを始めるのに簡単でおすすめだよぉ 

って記事を読んだのかなぁ(よく覚えてません)

妙に印象に残っていてですね それこそ気まぐれで検索してしまったんですよ。

他のサイトもそうですが簡単登録って誰基準なんですか?(涙目)

いつも登録の段階で断念してるんですよ私。

でも今回は違った 魔が差したのか暇だったのか諦めませんでした。

とりあえず登録できるまで頑張ってみようと思っちゃったんですね。

トップページまでは表示できたので画面を見て登録方法を探してたんですね。

 

f:id:Gaopico:20210301205354p:plain
したら こんな画面になっちゃってURLとか聞いたことあるけど何なのか知らないし

まぁ よく解らないけどノリでいっちゃえいっちゃえ

適当に選択して最後のブログを作成(緑の四角いの)ぽちー

しちゃいました。何故にそんな行動ができたのか不明であります。

 

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そしてプランを選択っと…もちろん無料です。

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じゃじゃ~ん!登録完了です。

ここまでで約2時間かかりましたけどね。

何はともあれブログのスタートラインに立つことができたはずです。

 

本日3度目のブログ公開

よしよし 2度目の公開も無事?成功したようです。

あとは いろいろといじって使いこなすだけですねフフフ

って あれ?

なんか文章がセンターに寄ってませんか?これ

うわぁ… どこ触っちゃったんだろう

軽くパニックですよこれ

やはり初心者にはブログの壁は高いですねぇ('ω')

スマホで調べながらやろうと思ってPCでやってるんですけどね

ええ10年近く前のPCが息を吹き返した本日でもあります。

すいません プレビューってやつを観たら普通でした。申し訳ないです。

色を変えてみました これは文章を記入してるところの

すぐ上にある「A」ってマークをいじったら色が選べましたよ。

でも改行すると元に戻りましたね。

文字の大きさも変えてみました。

これも改行すると元に戻りますね。

これはTの小さいのと大きいのが並んでるマークをポチっとしました。

手順は先に文章を入力してから変換する範囲を選んだあとにポチっ ですね

合わせ技はどうだろう

できました!

これは…かなりの勉強が必要と見えますね

そっかぁ こんな感じかぁ はてなブログ

よし

私のブログのテーマは

はてなブログを0から始めた人の記録」

にしたいけど そんな編集能力無いので私にできるものを考えますね。

いいのかなぁ こんなことで…

ま、まぁ慣れてきたら日々の出来事や何故にブログを始めようとしたのか

書いていきます。

それでは 夕飯の支度もありますので ここまで~